三寶山 眞華院 不器用だけど心があたたまる東北の片隅にあるちいさな日蓮宗のお寺    TOPページへ


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な~んとなくナットク!用語解説集

この「な~んとなくナットク!用語解説集」はふと思った疑問などを調べものをしたときに、「ああ、そういう意味だったんだ納得ナットク!」と気持ちよくなって、後日もう忘れている(涙、とほほ)自分のために作成しました。だから備忘録的なところが強いのですが、あなたもわからない言葉があったら教えてください。わかることなら解説しちゃったりいたしますよ。あとはな~んとなく調べたりして一緒に勉強しましょう。

わからない言葉などありましたら、
メッセージフォームに詳細を記入の上お送りください。「な~んとなくナットク!用語解説集」に回答します。(このすぐには回答できないかもしれません。そのときはごめんなさい。)
  


合掌礼拝(がっしょうらいはい)

意 味: 両方の手のひらを合わせ、神仏をおがむこと。
解 説: 「礼拝」は、佛教では「らいはい」、キリスト教では「れいはい」と読むのが一般的。
類義語: 合掌瞑目(がっしょうめいもく) / 瞑目合掌(めいもくがっしょう)   


一念三千(いちねんさんぜん)

解説 これは中国の天台大師智顗が説かれた、法華経の最高教理。
   日本では日蓮聖人が事の一念三千としてさらに推し進めた教えを展開された。
   ものすごく深い教えなので、ここでは、簡単に説明してみましょう。
   一念とは、私たちの瞬時に起こる心の思い。三千とは宇宙の総て森羅万象を意味し。
   簡単にいえば私たちの心の中には宇宙森羅万象が入っており、一瞬一瞬の心に常に影響し、
   また我々の一瞬一瞬の思いが宇宙森羅万象に影響する。

   私たちが正しい心で日々を生きれば、宇宙森羅万象からの良い影響を与えられ、悪い心で
   生きれば宇宙森羅万象の悪い影響が与えられる。
   人間は自分の心次第で良くもなり、悪くもなる。総ては瞬時の念から。  


感応(かんのう)

「感應」(かんのう)と言う言葉は佛教の用語です。神佛と修行者との精神的交通をいう。修行者が祈る信念力(信じて念じるちから)を感といい、その信力に應じて神佛の加護力(まもるちから)の現れるのを應という。これをまた感應道交(かんのうどうきょう)するという。たとえば大きな太鼓を強く打つと強い音になって返ってくるし、弱く打つと小さい音で返ってくる様なものです。人によっては、「感應」により神佛の姿を見たり、音を聞いたりすることもある。なお陰陽の両電気が相通じるような微妙な宗教的作用である。  


四苦八苦(しくはっく)

人は困難な事や大変な目にあったときに、よく「四苦八苦した」と言います。
この何か難儀したときに使われる「四苦八苦」は、「人生は苦である」という仏教すなわち、お釈迦様の基本的な教えです。この苦からの根本的な解放を求め悟りを得たのがお釈迦さまです。

お釈迦様は、実にこの世(娑婆世界)は苦るしみの海だと言っておられます。まづはそのことをしっかりと自分の心に留め置くことが、これからの人生を意義有るものにすることが出来るというのです。

まず四苦とは、生・老・病・死(しょうろうびょうし)の四つの苦るしみのことです。生まれて老いて病み死んでいく人間の人生全体を苦と認識することです。では、なぜそれらが苦るしみなのでしょうか。それは、例えば、こんなつらい人生なら生まれて来たくなかった、とか、いつまでも若くありたいと望んでもやがては年老いていきます。長生きしたいと願っても、寿命がきたら死ななければならない。実はこれが私たち人間の本当の姿だということです。 良いこと楽しいことがずっと続けばいいなと思ってもそうはいかない、自分の思う様にはならないと言うことです。

八苦は、先の四苦と、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、五陰盛苦(ごおんじょうく)の四苦を合わせたものです。例えば、愛別離苦とは愛する人と別れなければならない苦るしみ、怨憎会苦とは嫌な人と毎日顔を会わせなければならない苦るしみ。求不得苦は、欲しいものが求めても得られないくるしみ、五陰盛苦とは体全体の感覚から感じるものによる欲や煩悩が盛んになるくるしみの事です。

私たち人間が生きて行くということは、実はこのような苦悩する人生を生きることなのです。しかし、仏教はその苦悩から逃げるのではなく、その苦悩をしっかり見据え苦は苦と悟り、乗り越えることで本当の人生が見えてくることを教えています。