三寶山 眞華院 不器用だけど心があたたまる東北の片隅にあるちいさな日蓮宗のお寺    TOPページへ


住職が大切にしていること

当山は、法華経お題目信仰のお寺ですが、どの宗派の方でもお参りにこられたり、祈祷や供養や相談にみえたりしております。仏教の源はお釈迦様であり、どの宗派の教えも佛の教えなのでなんらさし障りはありません。21世紀は、諸宗教の対話の時代でおたがいに認め合わなければならないときが来ていると思います。

しかし、現実は世界のあちこちで宗教が絡んだ戦争が起きているのを見るにつけ、なんともいたたまれない気持ちになります。人々が救われるための宗教を信じているもの同士がなぜ争わねばならないのか。人類が向上していかなければならない課題だと感じています。

住職が考える信仰とは何か?

信仰は、ただお経をたくさんあげることではなく、ただ供養をたくさんするだけの事でもなく、
ただ何遍もお参りするだけのことでもありません。これらもとても大事なことではありますが、、、

一番大事なのは、自分が信仰することで 「心の安心を得ること」  「どう内面を向上していけるか」 ということではないでしょうか。世の中には、いろんな宗教がある中で、さもわたくしは信仰していますという様な方はたくさんいらっしゃいます。そういう方々を見ていると、何か違うような感じがします。なにかの形行動をしていれば信仰していると考えているようです。家事をほったらかしにしていろんな教えを聞く場所にいってお話を聞き、自分は素晴らしい信仰をしていると思いこみ東遁西走し、家に帰ってお嫁さんとけんかしたり、おじいさんとけんかしたり、近所の悪口をいって・・・・・しまいに大事な家族ともめていては何のための信仰か解りません。

信仰をして家族がいがみあう家になってしまったのでは、信仰の甲斐がないものと思います。家族の融和のための信仰はあっても、家族を犠牲にした信仰はいかがなものでしょう。どんなに正しい教えといえども家族が不和になる様では神佛も喜ばないと思います。だから、私は無理強いはしません。家族のみなさんが納得して信仰することが大事だと思うからです。

信仰は、人間が生きていく中で、大いなるもの(御佛)を己が心にいただき、なにが一番大事なのか、人として何をなすべきなのか、どうあるべきかそういうことを考え、強く生きることと思います。人を否定することでもなく、おたがいに認め合い、どんな困難にも負けない、みんなのしあわせを願う、それがお題目、法華経の信仰です。
写真:祈祷の様子(詳しくはこちら)