当山の沿革
当山は、幼少期の病を法華経の信仰により救われた落合妙瑞法尼が、島根県より法華経、日蓮大聖人の教えをを広めるべく有縁の地、山形縣庄内余目(しょうないあまるめ)に来て布教され、昭和53年11月「庄内地区法華道場三寶会(さんぽうかい)」を結成したのが始まりです。
それ以来、多くの信者がお題目の力によって救われ、心身の病が癒されました。
信者がふえていく中、昭和56年、宗祖日蓮大聖人の歿後700遠忌の折り、恩師冨永日豊上人(千葉県多古妙光寺)より「御肉鬚(にくひげ)日蓮大菩薩御分身の尊像」を奉安いただき、法尼はこの大慶事に出家得度し、新寺建立を発願しました。
新たに境内地を求め堂宇(どうう)を建立し、昭和60年、仏さまのご加護のもと、天の時、地の利、人の和が整い、5月26日開堂落慶(らっけい)となりました。
恩師は開山(寺を開いた人)として、自らは開基(お寺の基を築いた人)となり、その後も法尼は境内を整備し寺観を整え、さらに三寶会内陸支部(飯豊町椿)を建設し精力的に布教に尽くされました。平成10年5月、法尼は高齢により自ら院首となり、現住職の落合玄昭(げんしょう)上人に寺を継承し、現在至っています。
現住職は、先代が言われた「世の生きる人々の助けの寺であれ」との言葉を心に日々精進しています。
それ以来、多くの信者がお題目の力によって救われ、心身の病が癒されました。
信者がふえていく中、昭和56年、宗祖日蓮大聖人の歿後700遠忌の折り、恩師冨永日豊上人(千葉県多古妙光寺)より「御肉鬚(にくひげ)日蓮大菩薩御分身の尊像」を奉安いただき、法尼はこの大慶事に出家得度し、新寺建立を発願しました。
新たに境内地を求め堂宇(どうう)を建立し、昭和60年、仏さまのご加護のもと、天の時、地の利、人の和が整い、5月26日開堂落慶(らっけい)となりました。
恩師は開山(寺を開いた人)として、自らは開基(お寺の基を築いた人)となり、その後も法尼は境内を整備し寺観を整え、さらに三寶会内陸支部(飯豊町椿)を建設し精力的に布教に尽くされました。平成10年5月、法尼は高齢により自ら院首となり、現住職の落合玄昭(げんしょう)上人に寺を継承し、現在至っています。
現住職は、先代が言われた「世の生きる人々の助けの寺であれ」との言葉を心に日々精進しています。